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蓮の葉に水滴コロリンコ

 友人との約束の時間までまだ30分ある。都合よく目の前に、大きな店構えの文房具店がある。つり込まれる様に入って行くと36色入りのクレヨンが私の目に留まった。
「36色並んで綺麗な事」と、若い頃から色彩豊富な物を見ると浮き浮き幸せな気分になる。
 60年も前の18~19歳の頃は36色と言う色物(いろもの)はとても贅沢な物だった。
学校で絵を専攻していない私は、眺める楽しみだけに、使う程のお小遣いはなかった。だから私の中では、ちょっと手を出せば叶えられる夢の様な物だった。
 今なら買える。でも自分で買うよりプレゼントで頂く事の方が36色さんには、似合っているのではないだろうか。
 まるで私の頭の中の薄い膜を剥がして行く様に10代へとタイムスリップした。

 まだ学生だった私は、白いブラウスに紺のスカート。何処にでもある替り映えのしない服装だった。お洒落をしようにも、既製品が今の様に豊富ではなかった。
 選択肢のない中でのお洒落への欲求は、カラフルな物へと憧れる事で昇華させていた。丸顔な私が帽子を被れば、まるでスイカに帽子を被せた様な感じになる。生れつき美形な女性をとても羨んでいた頃だった。

 その頃、時々遠い親せき筋のおばあさんが、我家に遊びに来ていた。来る度に私を見て
「何と可愛い事。プチプチして気持ちが良い。髪の毛も黒々とふさふさして羨ましい」と、私のほっぺたに触れんばかりにして、心底褒めるのである。
 その事が私はとても嫌で、そのばあさんが来ると「又来た!」と、嫌な気分になっていた。きっと顔にも出ていた事だろう。
 自分が劣等感としている所を褒めるのだから、いたたまれない気分になったものだ。
 そのばあさんは、浪花節が好きで当時人気のあった<三橋美智也>や<二葉百合子>の唄をラジオで楽しんでいた。私とは趣味のちがう人に褒められても、何の嬉しさもなかった。

 70歳を過ぎた今、あのばあさんの羨ましそうな褒め言葉が分かる様になっている。
 電車の中でも10代の娘さんの肌を見ていると、お世辞抜きに美しいと思う。くすみのない瑞々しい健康そうな肌。蓮の葉の上に水をたらした時の様に、コロコロと水滴が転がる様に弾くだろう。なんと美しい事かと目をみはる。
 今の私はアイラインを描くにも、瞼を引っ張りながら皺を伸ばして描かなければスムーズに描けない有様だ。

 36色の色鉛筆に、つっけんどんにしていたあの頃を想い出させてもらって、深く反省しながらその文房具店を出た

-fin-

2015.3.1

【課題】 年令を重ねた今美しいと思うもの

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