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再会

 長年オーストラリアに住んでいた夕子は、45歳になって突然帰国して来た。どうやら母親の面倒を看なければいけなくなったみたいだ。一人っ子で自由にさせて貰っていたが、やはり、親孝行をしなければいけなくなったみたいだ。大学を出て2~3年の事だったから、かれこれ20年が経った事になる。その間、時々シドニーに遊びに寄せて貰った事がある。夕子には結構外国の生活が、身についていて、へえ~と思う事があったものだ。
 そんな一つに、ティパーティがある。日本人の私は、ティパーティに誘われれば、そのご家庭を見せて貰える事の嬉しさと、どんなおもてなしがされるのかと、わくわくするものだ。又、何をお土産に持って行こうかと、考えあぐねる。しかし行ってみて驚いた。丁度年齢的に同じくらいの友達が、外人も含め4~5人、夕子の家に集まった。
 テーブルの上に乗せられていたのは、どこにでも売っている様なクッキーと紅茶だけだった。そして友人達のお土産も、石鹸一つだけだったり、サラミ3本にリボンを掛けた物とか庭に咲いていた花を自分で小さい花束にした物だった。〈へえ~こんな物でいいんだ〉と思った事があった。

 京都の大覚寺の近くに住む夕子から、帰国後、母の容体も少し良くなったと言うので、お誘いの手紙を貰った。京都の小さな家ではあるが母子二人が住むには十分な広さである。
 雪見障子から中庭が見える部屋の炬燵の上には、湯豆腐が用意されていた。しばらくぶりの再会で、ひとしきり懐かしい話で盛り上がった所で、鍋のふたを開けてみると、美味しい、かつを出しの中に、今や全国的に有名になった豆腐が最初に入り、ゆずぽん酢で頂いた後、きくなの緑色が鮮やかに、目を楽しませてくれる。お腹も人心地が付いた頃、しゃぶしゃぶ用の肉が、皿いっぱいに並べられて出て来た。真赤な肉が、鍋の中で揺らしている間に、みるみる色が変わって行く様も楽しいものだ。何もかも最初から入れてしまうしゃぶしゃぶと違って、その絶妙な出し方に、京都の粋さを感じた。何やら大人の鍋料理を頂いた様な気分になった。郷に入れば郷に従えの如く、夕子の見事な頭の切り替えに脱帽してしまった。
 
 私は日本心を捨てていなかった友人に、誇りを感じた。又そんな夕子を育てたお母さんにも、陰ながら拍手を送りたいと思った。夕子のお洒落心が、小雪の舞う京都に華を添えた様な、お昼のひと時を、私は満喫して帰路についた。

-fin-

2010.2.10

【課題】 冬を感じる事

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