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障子の穴

 僧侶は仏壇の前で朗々と、読経していた。
何やら縁側の障子の辺で、バタバタする音に目をやると、一匹の蠅が外へ出たくてもがいている。それを見た僧侶は、「ちょっと離れたら、障子の穴から出られるのに」とつぶやいていた。確かに傍目(おかめ)八目、わきから見ていると当人より八目先まで見通せると言うものだ。私にも、昔同じ様な状況にあった事を想い出す。

 人に認められたい。しかし家族にも評価されないと言う劣等感。かと言って何もかも劣る、と言うのではなく、どこか屈折した優越感。自分でも訳の分からない不満と、孤独感に苦しんでいた時だった。折しもそんな時、一月私の誕生日に三通の葉書が届いた。一通は大丸からの年明けのバーゲンのお知らせ。二通目は行きつけのブテイックから、今年も宜しくと言う挨拶状だった。残る一通は友人のT子さんから「お誕生日おめでとう」と言う簡単な文面ではあるが、本当に私を思って下さっての葉書だった。たった一枚の葉書だけど、私はその葉書に光を見つけた。私の事を忘れずに想い出して下さる人がいたのだ、と言う輝くばかりの黄金の葉書に見えた。

 それ以来、病気を病んでいる人や、心に悩みを持っているとの、相談を受けた人には、葉書を出そうと心に決めた。何気ない内容でも旅先から「列車を待っている間に、貴方の事をふと想い出しました」とか「机を整理していましたら、貴方から頂いたお便りが出て来ました」とか、何かの支えになって貰えたらの、思いを込めて書く様な習慣がついた。心が苛(さいな)み孤独感に追いやられている時、誰かが自分の事を見ていてくれると言う事は、どれだけ嬉しく、勇気を貰える事かと体験して以来、私のささやかな約束事になっている。

 障子の穴を見つけた人は、そこから大きな世界へと進んで行く事が出来るのだ。あの一枚の葉書に支えられてもう三十年が経つ。
振り返ってみると、何とちっぽけな事に悩んでいたのかと、恥ずかしささえ感じる。あの時から今までに、どれだけ沢山の笑う事が、あっただろうか。どれだけ多くの素敵な人に出会った事だろうか。

 失恋した若者がもうこの世の終わりと落ち込む様は「それで良いのよ。貴方には、もっとふさわしい人が現れるよ」と言ってあげたい気持ちになるのは、70年も人生やって来たから言える事なのだろうか。どれもこれも、通らなければならなかった道であって、そこを通ったからこそ、今がある様に思えて仕方がない。
老婆心ながら、若者に言おう「逃げずに立ち向かいなさい」と。

 障子の穴を自分で見つける習慣をつけたいと、思うと同時に、葉書を出すという自分との約束事を、今後も続けて行きたいと思っている。

-fin-

2009.12.10

【課題】 約束

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