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幻覚

 市立中学3年生の男子が、自宅の台所にあった包丁で1歳年下の弟の左胸をさしたと言う事件があった。そんな事件がさして珍しくもなくなってきている昨今、突発的にと言う所にいつも麻薬の影が見え隠れする様に思われる。幻覚とはどんなものなのか、言葉でしか知らない私は、いつも突発的に起こる事件を、理解しかねていた。

 ある日中学生の少年が、たった1回麻薬を口にした事から始まった薬の恐ろしさをTVのドキュメントで見る事が出来た。
 物語は兄と二人暮らしの少年が、大雨の為外に出る事が出来ず壁にもたれて、窓を見ている所から始まった。大粒の雨は窓ガラスを叩きつける様に降って来た。その雨の一粒一粒が、黒い服を着て、黒い手袋をはめ、黒い帽子をかぶった男に見え出すのだ。何人もの、その黒ずくめの男がドンドンと窓ガラスを叩き
「開けろ!開けろ!」と叫んでいる。それを横目に怯え切っている少年がいる。そこへ兄が玄関のドアーを開けて、帰って来たのだ。その瞬間兄が、その黒服を着た男に見えた少年は、とっさに台所の包丁で兄をグサリとやってしまうと言うシーンだった。リアルな描写に、こう言う風に幻覚が現れるのかと胸が締めつけられる思いがした。

 この様に事件を起こした本人は防御の為にやったので、悪い事をしたと言う自覚がないまま、捕らわれの身になる。心の底からの反省もなく、上辺だけの「ゴメンナサイ」で刑を終えるのであろう。そこには、やられ損と言う理不尽な残骸だけが残る。被害者はやり切れない思いを何処にぶつけたら良いのだろうか。きっと怨念の塊になって行くのではないだろうか。
 子供が、麻薬に近づくのは、家庭の愛が足りない事なのかもしれない。温かさだけでも、親をなめると言う逆効果もあるだろう。厳しさの欠落している今、自分に恥ずかしくない行いをしているかと言う事を教えないといけないと思う。私達は人を騙せても自分を騙す事は出来ない。
「おてんとうさんが、どこかで見ているよ」と教えられたものだ。この教えは今になっても根強く私のバックボーンになっている。戦後言論の自由や平等の言葉が天下を取った様に独り歩きを始めた。自由と勝手気儘を同意語に思っていたり、テイクアンドテイクの精神が闊歩していたり、親達も物分かりの良い大人を演じたくて、歯止めが出来ずに来てしまったのだろう。恥の文化を教えて来なかった所に、大きな落とし穴があったのかも知れない。信号も赤の止まれがあるからこそ、安心して、青の時に渡れるのであって、止まれの赤がなかったら、どんなに恐ろしい事になるだろう。この様に禁止事項があるからこそ安心していられるのだ。
厳しさから目をそらさず、大人から襟を正して行きたいものだ。

-fin-

10/8

【課題】 一番緊張する時

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