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消えた御所車

 手先の器用な母は85歳になっても、お針箱を出し、色とりどりの布を広げて楽しげに手を動かしている。友人を訪ねると決めた後等は、俄かに忙しくしている。着物の余り布で可愛い、巾着袋をいくつも作って、お土産にしている。娘の私から見ても、手にしたくなる程の出来映えで、お店に並べても決して引けを取らない程のセンスである。出来上がったその巾着の中に、薄紙を丸めて入れ、やんわり、ふくらみを持たせると一層見映えがする。その上母の名前である「可奈」と言う朱色の落款を捺した和紙に、包むと一段とその価値が上がる。いいお土産が出来たと言わんばかりの、満足そうな微笑みを浮かべて床の間に一晩並べるのだ。
 翌朝大切そうに、菓子の空き箱に、それを3つ4つ並べて風呂敷に包み、孫頼子(よりこ)の車で駅まで送って貰う。結構孫とのコミュニュケーションも取れている様だ。手先を動かしたり、ディザインを考えて、脳の活性化を維持して呉れている事は有難い事だと、言葉には出さないが、私は心の中でいつも感謝している。

 畳紙(たとうがみ)の小さな窓から覗いたピンク色は、私の好きな色だった。ピンク地に御所車と扇子、牡丹の花が描かれた訪問着は、とても幸せな気分にさせてくれたものだった。私が20歳の頃仲の良い友人達と、ピアノコンサートに行った帰りのレストランでの事。友人の和子が恥ずかしげに、いや誇らしげに
「私、道夫さんと結婚する事になったの」と言った時だった。密かに道夫に心を寄せていた私は、前触れもないその言葉に、ショックを隠しきれず、手にしていたワイングラスが横にあったオリーブオイルの瓶に当たり、無残にも、赤ワインとオイルが、膝のあたりに描かれた御所車の上に、こぼれてしまったのだった。でもその事件のお陰で、その場では、私の心の乱れは、皆に見抜かれなかった様だった。その夜、母の可奈は、その話を聞き、とっくに、お見通しだったのには参った。そんな事があってその着物は、染みを付けたまま30年間も箪笥の中で眠っていた。想い起せば、母の巾着作りは、こんな事から始まった様に思う。
 今から5年ほど前に母の妹が認知症になって子供達がとても困っていると言う知らせを聞いた時だった。いつも毅然としている母だったが、その事はかなりショックだった様で、「あの着物を、私にくれないか」と言ってきた。私は不思議に思ったが、あまりいい想い出もない着物だったし、深くも考えずに「どうぞ」と言った。それから母の巾着作りが始まったのである。あの1枚の着物から、何十と言う巾着が出来た。その数だけの人が喜んで、幸せな気分になって下さっているのなら、あの御所車もきっと喜んでいる事でしょう。やはり人生には、どうしても必要な失敗がある様に思う。全ての出来事は、隠されたプログラムで、あぶり出しの様に現れるのかなあと、思いながら私は母と娘を送り出した

-fin-

2010.8.6

【課題】 畳紙(たとうがみ)にまつわるフィクション

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