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笑顔に有難う

 3800gもの大きな女の子が授かったと聞き、すぐにも駆けつけたい気持ちを鎮(しず)めるのに、まるで恋人が出来た時の様な、あのもどかしさの中にいます。女の大事業を立派に終えて本当にご苦労さんでした。真(まこと)さんも新米パパとしてあなたの事を誇りに思っている事でしょう。私は限られた命の中で、毎日心の整理をしています。貴女の母で過ごせた事とても幸せに思っています。10歳の時父を亡くした貴女は、私と二人で心細い思いをしましたね。先の事を考えると涙も出ない位茫然とした事を想い出します。ただ貴女を抱きしめる事しか出来なかった事を。貴女は私のほっぺを両手でギューと押さえつけて「ひょっとこさん」と言って笑った。暗闇の中のその笑顔は嬉しかった。まるで操り人形の糸がピンと張って息を吹き返した様だった。私は、「この子を立派に育ててみせるわ」と何か神の啓示を受けたかの様に、小さな洋装店を開いたのです。服を仕立てたり、裏地やボタンを揃えて小さい店を切り盛りしながら働き続けたわ。貴女を鍵っ子にしないために考えた末の商売だった。忙しい私は、紺屋の白袴で、自分の事には構えず、でも貴女にだけは、いつも手製の服を着せて誇らしく思っていました。

 実は貴女にはもう一人の母がいたのです。貴女は、お父さんが外に作った子供だった。その事を聞かされた私は当然怒り狂ったわ。でも引き取り手がないと言う事で「育ててくれ」とお父さんに頭を下げられたの。ひと悶着の末、貴女と対面した時、その時も貴女の純真無垢な笑顔が、私の心の中の鬼を追っ払ってくれました。育てる自信なんて少しもなく、継母でいじめてしまわないかと、言う不安の方が大きかったわ。でも貴女はだんだん可愛くなり私の生甲斐に変化して行きました。反面お父さんには、まるで針の筵(むしろ)の上にいる様な居心地の悪い家庭だったと思うけど、貴女と私の絆は日増しに深まっていったのです。この事実を貴女が知る事を私はとても恐れていました。
産婆さんの所からすぐに引き取ったので戸籍上も私の子供になっているせいもあるけど、素直な貴女はずっと気付かなかった。
 今思い起こすと、貴女のお母さんは偉かったと思います。断腸の思いだった筈なのに、名乗り出て来る事もなく、潔(いさぎよ)く身を隠し通してくれました。そのお陰で私は、貴女を育てると言う、本当に楽しい思いをさせて貰ったわ。とても感謝しています。
 あと半年位我慢出来たら、このままこの秘密をあちらの世界に持って行けるお話です。そして全てが終わると思った。でもそれは、私の大きな我儘だと思えて来たのです。
 色んな人達の協力があって、ここまで来させて頂いた事への感謝を伝えたかった。お父さんとはあまり良い夫婦関係ではなかったけど、やっぱりお父さんがいて、貴女とも巡り合えたのよね。みんなに有難うと言う思いです。本当に景子有難うね。
           羽曳野療養所にて  景子の母より
                    昭和35年1月7日

-fin-

2010.6.6

【課題】 手紙形式

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