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玉手箱

 一人で自分の身の周りの物を買う様になったのは、何時の頃からだろうか。60年も昔の事を想い返してみると、中学生の頃ドキドキしながらのブラジャーが初めてであった様な記憶がある。その前に文具類等は、買っていたのかも知れないがドキドキ感で、ブラジャーが最初だった様にインプットされているのかも知れない。通常母親と一緒に行って買う物だろうけど、遅くに産れた私は、友人達の若々しい母親を見て、少しばかり劣等感を持っていた。その上結核で床に伏していた母とは行けるわけも無かった。
 何某(なにがし)かの与えられた予算の中で、身の周りの物を買う様になった。予算オーバーは出来ない経済状況も充分理解していたので、当時歳の割にはお買い得商品を見つけるのが上手だった様に思う。
 小学生の頃結構裕福な環境に育てられていたのだが、中学生になって急に状況が変わった。でも母の強い要望で、学校は転校せずに行かせて貰った。しかし周りの友人達は贅沢な品を持っている。値段を聞くと到底手の出ないものばかりであった。
 母は自分が病弱で何もしてやれない分、かなり無理をしてまで、せめて学校の環境だけは、そのままにしておいてやりたいと言う親心だったのであろう。だけどかえって、自分だけが、教室の中で、暗い穴ぼこになってへこんでいる様な、惨めさは母に理解されなかった様だった。いじいじと、劣等感に悩まされるより、転校して皆と肩を並べ、切磋琢磨しながら、生活をしていた方が良かったのかもしれない。しかし、それは与えられた、通らなければならに道だった様に思える。
 離婚こそしなかったが、商売が順調に行かなくなり、父は父なりの悩みを抱えていたのだろう。今となればそう思えるが、結局父は女の所へと家を出てしまった。そんな父を恨み、その女に怒り狂い陰のこもった空気は決して母の病気には良くなかった筈だ。でもそれぞれが、そのことを受け止めなければならない、神から与えられた課題だったのだろう。
 父からの仕送りが現金書留で送られてくる。その中の幾らかを、貰って買い物をする様になったのだ。イメージ的には現金書留と言うと、何かわくわくする様な印象があるのだが、どうしても私の中では、嬉しさの中に侘しさ、悔しさ、恥ずかしさがない混ぜになって想い出される。
 そんな仕送りを、当てに等したくないと言う去勢。私以上に母の悔しさを思うと、何とか見返してやりたいと、子供心にも「今に見ていろ、今に見ていろ!」の精神が、培われたのかもしれない。風化しそうな想い出も、何もかもが今の自分を創ってくれたのだ。
 何某かの金子が、送られて来るという事は、まるで玉手箱を開ける時の様な、ときめきがある筈なのに、私にとって、それは決して玉手箱にはなり得なかった。

-fin-

2011.8.25

【課題】 「現金書留」を見て、思い出す事

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