top of page

瞼の裏の微笑

 30数年前の40歳代の頃、突然目眩がして救急車で運ばれた事があった。日頃健康な私は何が起こったのか分からないまま、救急車と言うものに初めて乗った。わが家は坂の途中に建っている為、車が発車するまでは、頭がかなり下がった状態だった。目眩の上逆(さか)さずりにされた形で、数分の間だったのだろうが辛い時間だった。胃からは何も出ないのだが、むかつく苦しさに耐えながら、やっと病院に着いた。ストレッチャーで運ばれる間、看護婦(その頃の呼び名)さんは「辛かったですね」と、私の手を握り、肩をさすりながら医者の診察を受けるまでずっと傍に付いていて下さった。
〈ああ、この人だけは私の辛さを分かってくれている〉と、涙が出る程有難たく、安心したのを想い出す。
 目も開けられない状態だったので、実際の笑顔は見ていないが私の瞼の裏に浮かんだ笑顔は、優しさの溢れる慈愛に満ちた笑顔だった。色白で口角を少し上げた静かな微笑は、キラキラ輝いていた。
 彼女は夜勤のつとめにも、屈せず医者のフォローをする様に、彼女なりの業務を果たしていた。
恐らく彼女自身は、自分のした行為が、それ程まで、患者に安心や、思いやりを与えているとは感じていないのかも知れない。
 医者は何度も尋ねた。
「耳鳴りがしませんか?」
「頭の後ろの方がグルグル廻りませんか?」と。
「いいえ」と、言う私に医者は首を傾げていたのが、とても不思議に思えた。一般的にはこう言う場合「メニエル」と言う「三半規管」の事が多いそうだが、結局は過労の末の目眩だと言う診断だった。

 2~3日休んでいると何事もなかったかの様に治ったのだ。           その頃かなりハードなスケジュールに押しつぶされそうになっていたのは事実だった。神様が休ませてくれた休暇だったのだろう。
 当時の私の仕事は我が社の下着を売って下さっているお客さんに、集まって頂き日頃の感謝と労(ねぎら)いを述べ、又これからもやる気を起こして頂くためのモチベーションを喚起する為の講演会が主だった。200人位の人がわざわざ集まって下さっているのだから申し訳なく心が痛んだ。急遽他の役員に代役をお願いしての穴埋めをして貰った。
 健康に対する過信の自分勝手な頑張りは、結局周りの人に迷惑をかけるのだと言う事を思い知らさされた。

 あの看護婦さんの無償の愛の言葉と微笑を、私は人に与えているだろうかと考えると大いに疑問である。
あの時、私もあの優しさを人に与えなければと思った筈だったのに
「喉もと過ぎれば、熱さ忘れる」の教えを、罪の意識で懺悔する今日この頃である。

-fin-

2015.5.1

【課題】 微笑をテーマに

bottom of page