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枯葉に想う

 千恵は毎年夏になると、長野県の少し奥まった田舎に来る。世間から見れば贅沢と映る事に、少々の後ろめたさを感じ、でも都会の夏の暑さには耐えきれず、こんな贅沢をし出して10年が過ぎる。
夏の1~2ヶ月を都会から離れて過ごす生活も板について来た。時には極親しい友人や孫達も訪ねて来る。訪れる客達はこんな涼しい所で夏を過ごせるなんて、なんと贅沢な事と羨望のフラッシュを浴びる。
でも皆口を揃えて言う
「千恵さんはあれだけ働いたのだから、そりゃこれ位のご褒美をもらっても良いわよ」
「女手一つで子供を二人も育て、子供の為だけに生きて来たのだから」と言われると、ほっとするものの、どうも落ちつかず
「そうだ、そうだ、ソーダ村の村長さんだ」とちゃかしてしまう癖がある。
 
 千恵は窓越しに庭を眺めながら、あの時を想い返していた。
啓司達がまだ五歳と三歳だったあの日、突然私から、貴男を奪った八ケ岳を、どれほど恨めしく思った事か。寂しさと不安が怒りに変わり、その怒りが誰にぶつける事も出来ないもどかしさに気も狂わんばかりだった。でも生来の勝気さが、よし、啓司達を立派に育てようと心に決めた。それはきっと、ただ貴男に褒めて貰いたくて頑張って、頑張って働いたのだと思う。貴男の人徳から、私に手を差し伸べて下さる方が次々に現れて、子供を育てながら家で出来る翻訳の仕事に恵まれ、いつも貴男が傍にいてくれているのだと感謝して暮らした。そんな私を見て育った子供達も無理を言わず素直に育ってくれた。
そう私はただ〈貴男に褒めて貰いたくて、褒めて貰いたくて夢中だったわ〉私の中での貴男は未だに溌剌として、あの雪山に、出掛けて行く程の若さで現れるの。私は車椅子の御世話になる程に歳を重ねてしまったと言うのに。

 そんな過去から我に返った千恵ではあったが、秋の物悲しさは又も想い出の世界へと引き戻すのであった
啓司達の学校の成績に一喜一憂した時期もあった。子供を信じてやれなくて、ゆったりした気持ちで育てられない時もあった。今思うと自分がいらいら、ぎすぎすしていた時だった様に思う。つい弱い子供にしわ寄せが行ってしまっていた事を、申し訳なかったなあと、舞い落ちる枯葉を目で追いながら、淋しさと不安で朝まで眠れなかった夜もあった事を想いだす。そんな苦しい事、悲しい事を乗り越えて、通って来た道はみんな愛おしくて、今は、そんな道を作ってくれたのも、〈ひょっとして貴男だったのかしら?〉と思う時がある。

 「買ってきたよ、母さん」啓司の明るい声に、呼び戻された千恵は「全部ぬかりなく買ってきたかな?」と、今までの表情を、又胸の奥に閉まって、寂しがり屋を隠してしまったのだった。

-fin-

2010.11.22

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