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買えなかった水色のサンダル

 神戸の須磨海岸の近くに住む京子は、嫁いでもう60年にもなる。子供のいなかった彼女は、親しい人が次々に亡くなって行き、まるで歯の抜けた様に、友人のいなくなって来ている事を寂しく思っていた。そんな矢先、小学校の時、仲良くしていた和子も旅立ったと言う葉書を前にして、こうなれば若い人を友人に持っておくべきであったと、少々人恋しげになっていた。

 裕福な家庭の一人っ子として大事に育てられた和子は、天衣無縫で、かなりの我儘娘だった。でも京子は子供心にも、いつも一歩譲って、和ちゃんと仲良くしていた様に思う。

 和ちゃんと言えば、「あの水色のサンダルを思い出すなあ」
 空の色よりも、鮮やかな水色に、白い皮の鼻緒が、艶のあるエナメルの水色に映えていた。京子には、とてもお洒落に見えたものだった。

 それは毎年行われる、夏の学校の行事で、海の家で過ごした時の出来事であった。
 彼女は、浜辺の水の中を惜しげもなく、そのサンダルで、ピチャピチャと音を立てて歩いていた。京子はどきっとした。
 実は、彼女は、あのサンダルが欲しかったのだ。普通の物の倍もする高価な物だったから、京子には買えなかったのである。
 水の中にも関わらず、ジャリジャリと言う砂を踏みつける音が、はっきりと京子の耳に伝わって来た。「ああ、勿体ない!」と思わず胸が痛んだ事が、今もはっきりと甦る。

 宿舎に帰ってみると、そのサンダルは、下駄箱にちゃんと戻されていた。でも心配したように、やはり砂で、あの奇麗な水色のエナメルが傷つき、地肌の木が見えていた。「可哀そうなサンダル。私の所へ来ていたらこんな事にならなかったのに。もっと大事に使ってあげたのに」と、サンダルが可哀そうに、思えて、悲しくなった事を想い出す。

 その夜京子は、絵日記を書くために持って来ていた、水色のクレヨンで、その剥げた所を塗りつぶした。あのエナメルの鮮やかな色には、ほど遠い色だったが、少しはあの艶のある水色が守られるかなと思って。

 70年も昔の事だが、想い出って瞬時に心と言う壺の底から、飛び出てくるものなんだなあと、不思議な気持ちにさせられた。和ちゃんの訃報の葉書が、こんなにも遠い昔に連れて行ってくれた事に、感謝をしながら、和ちゃんの冥福を祈った。

 窓の外には、波頭をキラキラ光らせて、青い海が広がっていた。私の中では、今もあの時の色鮮やかな水色が鮮明に生きている。

-fin-

2010.6.29

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