私のレース編み
「信一、さあパパに手を合わせるのよ」と3歳になる信一を引き寄せ、まだ30歳にも届かない母の可奈は墓前に手を合わせている。
今日は墓花も少しはずんで、胡蝶蘭を入れて貰った。夫の伸夫が
「君は胡蝶蘭の様にすがすがしく華やかだ」とよく言ってくれたものだから。心の中では、母子家庭の状況でそんな贅沢は許されないと思いながらも、心まで貧しくなってしまっては、惨めだと自分を納得させた。
この墓地は六甲山の麓に位置していて、神戸港や遠くには関空さえも見える眺望の良い所である。可奈は目を細めてその一点を見ながら、元気に手を振って見送った夫伸夫の、がっちりした後ろ姿と、真黒に焼けた黒い顔に、真っ白な歯がよく似合う笑顔を想い出していた。
戦場カメラマンだった夫とは、こんな別れれ方になるのではと、胸の奥の奥の所でチラッと感じた事もあった事を今頃になって想い出す。訃報を聞いた時の恐怖感を払いのける様にして、楽しかった時の事へと想いを、切り替える可奈だった。
二年前の事だった。産まれたばかりの我が子を抱きながら
「僕には守らなければならない人が一人増えたなあ」と、とても幸せそうな顔で、台所で立ち働く可奈に話かけた時の、面長な頬に出来る笑い皺は、今想い返しても可奈の一番好きな顔だった。
人気のない墓地は想い出と向かい合える大好きな場所だった。十まで数えられる様になった信一は、次々とお墓を渡り歩き一つ二つと数えていた。時々
「ママ、ここのお花枯れているよ」と教えてくれる信一を見ながら、亡き夫に我が子の成長ぶりを見せてあげていると言う安心感にも繋がった。
長く待たされた保育所に、やっと受け入れられると言う通知が届いたのは昨日だった。可奈はほっと安心するものの、親離れ子離れの始まりだと思うと、信一が不憫で思わず抱きしめてしまった。
「ママ痛いよ」と言われて我に返った。保育所を時々見学したり、そこには沢山のお友達がいて、大きなおもちゃが、いっぱいある事も徐々に見せて来た事に少しばかりの心の安らぎをもった。保育所のウエイティングと並行して可奈の勤め先も探していた。幸いひと駅先の小さな貿易会社に決まりかけの事も、亡き夫の計らいの様に思えた。
夫は好きな仕事で殉死した。正義感と勇気そして優しさを持っていた伸夫は、可奈の大きな誇りでもあった。そんなDNAが3歳の信一にしっかり刻まれている事を信じている。
「大丈夫。しっかり生きて行きます!」と、もう一度墓前に頭を垂れた。とび跳ねながら歩く我が子を見守りながら御影の駅へと下って行った。
小さな希望を一つ又一つと繋げて行こう。レース編みの様に。きっとそれが線になり、その内きっと奇麗な文様の面になって行くと信じて。頬を撫ぜる風が心地よかった。
-fin-
2010.5.22