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滑ったり転んだり

 あれだけ冬が好きだった寿(かず)も80歳にもなると、首に襟巻を巻き世間並みの婆さんの様に炬燵に入って、今年も紅白歌合戦を見ながら30年もの昔を想い出していた。

 小学生の娘と息子を抱えての離婚には時間は掛からなかった。寿(かず)の姉が近くに住んでいると言う事が、心の支えだったのであろう。
主婦が保険会社に職を見つけ、一からの勉強は、かなりの努力が必要だった。恥も外聞もなく、解らない事は、誰かれなしに、積極的に聞くと言う一年だった。迷惑がられる事もあったが、寿(かず)は意に介さなかった。ライバル意識の激しいこの業界でも、親切に教えてくれる人もいた。寿(かず)の少し頼りなさが功を奏したのかも知れない。5年と言う歳月はあっと言う間に過ぎた。その間彼女は保険以外の勉強も自費を投じて学んだ。そんなひたむきな努力が実を結び、法人相手の顧客が徐々に増え出し、中小企業なら社長が、大企業なら総務部長が直接相手をして下さる様になってきた。特に趣味の話は、その距離をぐっと近づけ、長野出身の同郷の人とは面白い位、親しくなれた様に思う。「末永(すえなが)寿(かず)」の名前は縁起が良いと、言われたり、彼女と話をしているとホットするとか、又もう一度会いたい等と噂されていると聞き、面映ゆく感じたものだ。その頃には気が付くと全社を挙げてのトップセールスレディーとして表彰される事も通例になっていた。有り難い事だと毎朝神棚と手製の仏壇に感謝をしてから家を出る習慣がついてしまった。手を合わせながら、フト気が付いた時、子供達も随分我慢して協力してくれているのだろうと言う、衝撃が走った事があった。
 それを機に年末から年明けに子供たちを連れて北海道にスキーに行く事に決めた。子供達は何よりも喜んでくれた。銀世界の中滑ったり転んだりしても童心に返った様な気分になった。子供の頃雨降りの水溜りの中を長靴でピチャピチャやったあの時の気分に戻れた。北海道の雪はまるで片栗粉のような雪で、踏みしめると、キシキシと音がして、転んでも服に雪が付かない。毎年年末の行事として北海道に通い続けた。子供達はみるみる上達をして母親をしり目に姉弟(きょうだい)仲良く楽しげに過ごすその時が、一年間の罪滅ぼしをした様な至福の時だった。自分の忙しさが先に立ち、一般的な母親の様に細かい所まで気を配ってやれなかった事の後ろめたさを常に抱えていたものだ。

 そう言えば、随分しばらくスキーにも行っていなあと思いなながら我に返ると、すべての煩悩を忘れさすかの様に除夜の鐘が鳴り出してきた。

-fin-

2011.12.5

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