知らなかった事が宝
梅雨のこの時期、ふと思い出す。経営者にとって一番大事な緊張する株主総会が新聞紙上を賑わしている。現役から離れてもう10年が過ぎた。
私が37歳の昭和50年に、3人で立ち上げた会社〈株式会社シャルレ〉は、恐ろしい位、ない物ずくめの会社だった。資本も知識も情報もない中、まるで目隠しをされて歩いている様な感じを覚えたものだ。
下着会社と謳っても所詮パンツとパンストだけの品揃え。今思い返しても顔から火が出る程恥ずかしい気がする。
「君たちが?」そんな会社出来ないだろうと言う斜(はす)に見られていた中だった。
注文予約を頂いた時点で先に代金を頂くと言う現金取引。当時の商売人には考えられない事だった。「よう、そんな事出来まんなあ」と不思議がられた。そんな時私は言っていた。
「映画だって、面白いかどうか分からないのに先にお金払うでしょう? 電車も乗る前にお金払うでしょう?」と、涼しい顔をしていた。
当時セールスと言う言葉はあまり良い印象ではなかった。自分も物を売る才能があるとも思っていなかったから、メンバーと呼んでいる販売員さんに売る事を指導しなかった。いや出来なかった。商品説明の知識もなかったからだ。
何をしたかと言うと、『出会った人と楽しい仲間作りをする事』を目指した。
挨拶の仕方は「先に挨拶をした方が勝ちだよ。笑顔は言葉が分からなくても、貴方に敵意はありませんよと言っている事だから」と。
お客様のお宅に上がらせてもらった時の行儀作法も話した。
「靴は古くても良いが清潔な物を履く事。出船の状態に脱ぐ事」
「トイレ等も後から来られた人が気持ちよく使える様な使い方をする」
「何事も次の人が受け取りやすい様にリレーをする事だ」と言う様に伝えた。
工場の仕組み等を知らない私は「そんな非効率的な事、出来まっかいな」と、生産効率をあげる工場長とよく喧嘩をしたものだ。縫いの工程数が増える程に、コストが高くなるからだ。でもそれをしていたお陰で、丈夫で型崩れがしない商品づくりを40年経った今も、ずっと守っている。
会社が大きく成長して、外部から優秀な人を役員として迎えた時も、皆一様に「自分達が育って来た会社とはカルチャーが違う」と、ショックを受けるそうだ。シャルレも外部からの風を取り入れて教えて頂くことも多々あった。
人との出会の異文化交流によって、オリジナルな風土を築き上げてきた会社だが、今思うと全て無知ゆえの宝だった。
利益も確かに大事だが、人との繋がりはもっと大事と言う会社設立時からの思いを振り返ると、この先100年も永続して行くためには、これからも時代に合った異文化交流をして行かなければならないのだろうと思う今日この頃である。
-fin-
2016.7.1
【課題】 異文化交流