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侍の服

 今から44年前、31歳の私は異様に大きなお腹を突き出して、息も絶え絶えに、辛いつわりと戦っていた。生まれる2か月前まで、双子とは解らず、これ以上お腹に持っていると過熟児で、帝王切開でもしなければならない
のではないかと不安になった。一人が逆児で重なり合っていたのだ。心音が重なって解らなかったと言う事だった。突然の出来事に私は動転してしまった。
 まず頭をかすめたのは、その当時未熟児を産むと、ガラスの箱に入れなければ育たなかった。その費用が1日3千円かかると言う話だった。二人だと6千円、そんな蓄えはなかった。どうしようと思った私に夫は
「ええやないか、一度に二人も生まれるのって、ありがたいやん」と言うのだ。
我にかえった私は ―そうや、一度に二人も生まれるのや、こんな得な事は無いわ― と思いなおし、とても救われた気持ちになった。
 それからは、双子で生まれて来るのなら、当然未熟児であろうから、一日も長くお腹に持っていなければと、勝手なもので、大事に抑え込む様な気持ちになった。おむつも二組、肌着も二組と何もかも2人分を揃えるのに、気を取られて、つわりの苦しさもいっぺんにふっ飛んでしまった。
 出産の時は、実に簡単で、一子目のあと、5分もしない内に二子目が生まれ、それも二子共未熟児でなかったのは、本当に神のご加護があったのだろうと思った。

 4年後生活に少し余裕が出来た頃、家族で箱根に旅行した。その旅館には子供用の浴衣や丹前が用意されていた。3人の子供がそれを着ると何とも可愛らしかった。部屋から離れた温泉に入りに行く時、ぐずぐずしている子供達に、
「早く来なさいよ」と言うと
「待って! 侍の服着ているから走られへんねん」と言うのだ。初め何の事を言っているか分からなかったのだが、どうやら和服の事を言っているらしい。着物はテレビの中で見る、お侍さんの着る服と思っていたらしい。主人と思わず、その事に気が付いて、笑ってしまった。

 又彼等が歩き出した頃は、犬を繋ぐような鎖に繋いでお散歩をしたものだ。その鎖の長さの分彼等の行動は自由になる。しかしお互いが興味のある方向へ別々に動き出すと、私は両手を広げたまま、身動きが出来なくなる。 犬なら引っ張ればこちらに来るのだが、人間の子供はそうは行かない。引っ張れば倒れてしまう。
 当時は可愛さを愉しむ余裕等なかった。今思うと可愛い盛りに、親を一杯楽しませてくれていたのに、とても勿体ない事をしたなと想い出は尽きない。

-fin-

2013.5.1

【課題】 おかしな話

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