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砂丘の男

 県知事の娘容子は、茶筅をシャカシャカと忙しげに動かし、一呼吸を置いてお薄茶碗から茶筅を手前に引いた。若草色のお茶にはいつもの様なきめの細かい泡立ちはなく、鋭い眼が映っていた。心が乱れている時はお茶も上手く立たない事は知っていたものの今日のお手前は酷いものだと自分に、腹が立っていた。でも〈はてな?〉この鋭い眼に何処かで見た様な懐かしさを覚えるのであった。
 結婚を間じかに控え、心の落着きを失くしている容子を、女中のキワは長年のお嬢さんとの付き合いなので、何もかもお見通しであった。
「お嬢さん、独身最後の想い出に旅行でもされたらどうですか?」
「そうね。私もそんなこと考えていた所なの」

 婚約相手に不足がある訳ではないのだが、体の芯で疼くような何者かがブレーキをかけている様に思えて仕方がなかった。それが何であるのか掴めず容子の人相は日に日に険しくなって行くのであった。嫁ぐ身のため、部屋の中を整理していたら一枚の写真がこぼれ落ちた。
 それは四年前に初めて見た鳥取砂丘の風景写真だった。今日のお茶碗の中の鋭い眼は、あの時の青年の眼と結び付いたのだ。

 鳥取行きの列車の中で、容子は何度も反芻してみた。砂丘の近くの休み茶屋に入り、
「180㎝もある大男の画家をご存じないですか? 以前私の絵を描いてもらった事があるのですが、未だにその絵を見せてもらえていないのです」と言うと
「今も時々画布(キャンパス)を抱えてやってきていますよ」と返ってきた。

 しばらく行くと、容子が来るのが当然な様に黙々と写生をしている男がいた。
「こんにちわ。もう私の絵出来上がりましたかしら?」
「ああ とっくに」
「それなら 是非見せ欲しいわ」
「だったら、家まで来てください」
 ところ狭しと、絵道具や完成品、未完成の絵が散乱していた。奥から恭しく持ってきた絵は立派な額に入れられていた。
 「よく出来ている事。私にそっくりだわ。今にも話し出しそうだし」しかし無表情な彼からは、何も返ってこなかった。
「私長い旅に出ますの。この絵ゆずっていただけませんか?」何も言わない彼のこめかみがぴくっと動いたのを容子は見逃さなかった。無言の時間は実際より長くに感じた。たまりかねた末、何かを言わなければと焦って
「あのう」と同時に言った二人は思わず笑ってしまった。
「これはお渡しする事ができません」かなりきっぱりと、声に出した。
「そう。それなら仕方がないわね」と容子も又毅然と答えた。
「でも、何故?」と恐る恐る訊ねた。
「この人は、僕の大事な人にとても良く似ているのです。もうこの世にはいないんですがね」と、遥か彼方を見つめている様だ。
「あの時の貴女は、まるで彼女が生き返って来たのかと想う程似ていたのです。もう心臓が止まる位びっくりしましたよ」
「ああ、そうだったのですか」と容子は4年前の出会いの不思議を想い出していた。
〈そんな彼の執着が、お薄の中に現れたのかも知れない〉と、何かすっきりした気持ちになれた。

 容子も彼もまるで満足げな表情だった。駅に向かう容子の背中に庭の蝉が甲高くいつまでも鳴き続けた。
 鳥取砂丘の一人旅は、大きな意味があったようだ。

-fin-

2008.8.31

【課題】 傲慢な眼

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