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いつぞやの大木の蝉

 今から75年前、3800Gで生まれ来た健康優良児は、家族の自慢の一つであった。小、中、高校生の9年間もクラスで大きい部類だった。集合写真ではいつも後列で頭の位置が抜きんでていた。そんな私は、子供心にも大きい事が、可愛さの欠ける事と思い込み、常にコンプレックスを持っていた。

 小学生の頃は同級生と並んで、歩きながら話をしていても、小柄な同級生は、小さいと言うだけで、可愛く見えた。その上通りすがりの人にも、話の内容が賢く映ったことだろう。何よりいやだったのは、6年生の時、電車の切符を「小人」と言って買うのに、とても引け目を感じた。本当は中学生なのに、胡麻化している様に見られている様な視線を感じて堂々と改札を通れなかった。又ランドルセル姿もまるで大木に蝉が止まっているようで、滑稽な姿だったと思う。だからいつも萎縮して背を丸くして歩いていた様に思う。

 成人になった当時の遊びは、映画に行くか、ダンスホールに踊りに行く事ぐらいしかなかった。そこでも華奢な女の子から順にお誘いがかかり、もてない自分を嘆き、まるで人格全部を否定された様な思いになったものだ。青春を謳歌すると言う言葉には程遠い苦い思い出がある。

 45歳からひょんな事で始めたシャンソンで、舞台に立つ事を余儀なくされる様になった。歌の不出来をせめて衣装でカモフラージュしようとして、舞台映えのするコスチュームを作るようになって行った。

 70歳を超える今となって、背の高い事が有利であるとやっと思える様になった。それは舞台に立つ時、曲に合った絵を衣装に描いたり、時には振袖や訪問着で歌う事もあるのだが、そんな時着物の柄が潰れることなく表現出来る事だ。長年のコンプレックスであった背の高い事が、やっと有難い事と思える様になった。

 今や大木の蝉も、どこかへ飛んで行ってしまった。この歳になって堂々とライトの中、喝采を浴びている姿を、誰が想像した事だろう。本当に人生って、面白い物だとつくづく思う。

 大きく産んでくれて有難う。常に夢を持ち、こけてもくじけず起き上がり、希望と言う光を求め続けるしつこいDNAも、親からもらった大きな財産だ。そんな感謝を今頃しているわと、天国から親は笑っているだろう。

-fin-

2013.3.1

【課題】 若い時は〇○だったが、今は△△になった

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