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心の宝石

 「痛い!」公子は不覚にも足を滑らし、転んだ拍子に足を、ぐねったらしい。朝早い道路には、人も通っていないので恥ずかしさもなく、公子は大きな声を出していた。すぐには起き上がれず、年寄の様にヨッコラショと、立とうとしたが、ぐねった足が痛くて、四つん這いになっていた。そこへバイクがすっと横付けにされて
「大丈夫ですか?」と一人の男の足が目に入った。公子は見上げながら急に恥ずかしさが体中を駆け巡り、無様な格好を見られていたその上に、この自分の服装を後悔した。
「枯葉が昨日の雨で、滑りやすくなっていたみたいで」と取り繕ってみたが後の祭りだ。悟空(ごくう)も心配げに公子の足を、クンクンと舐めに来た。
「可愛い犬ですね。何て名前ですか?」とその男は犬が好きらしく、私の恥ずかしさを、はぐらかしてくれている様でもあった。
「悟空って言うのです。5月9日に生まれたんです」
「洒落た名前ですね」立てない私を見かねて
「家まで送りましょうか?」と言ってくれた。
「すみません。まだ病院も開いていないでしょうし、犬もいる事ですから、お願いしようかしら?お時間大丈夫ですか?」
「ああ、いいですよ。今日は休みの日で、朝からこいつを飛ばしていたのですよ」と脇に停めた赤い愛車のバイクに、いかにも愛おしそうに目をやった。公子は手を借りながら、スピッツの悟空を抱きかかえて、バイクの後ろに跨った。不安定な姿勢でゆるゆると、15分程かかって家の前に着いたものの、一人で歩けないので、その男に助けて貰いながら、家に入らざるを得なかった。知らない男を、女一人住まいの家に入れる事を躊躇した。しかし精悍な顔つきや爽やかな物腰、35歳の公子から見れば10歳位年上に見えるが、好感のもてる彼に「まあ良いか」と云う気になってしまった。お礼を言って自己紹介をしあった。もし困った事があれば、いつでも電話を下さいと言い残し、赤いバイクの音は遠ざかって行った。男の名前は赤山太一と聞いた。

 家でパソコン相手に、イタリア語の翻訳の仕事をしている公子は男性に会う機会も少なく、いつも空想の世界で遊んでいた。数日後ようやく足のシップも取れた公子は、縁側のロッキングチャアーに揺られながら赤山太一の事を思い浮かべていた。ウィクデーが休みという事は何の仕事だろうか。浅黒い顔から想像すると、スポーツ関係なのかしら、それとも俳優? タレント? 公子はあれ以来、結構空想の世界で彼の事を楽しんでいた。バイクの後ろでつかまった時の感触は、服の上からも筋肉質な事がわかったし、ペダルを踏む足にも、十分な余裕があり、足の長い事が読み取れた。それに引き換え私は、朝の早い犬の散歩と油断していたため、化粧もせず、踵(かかと)のすり減った靴で、いつ捨てても惜しくもない様な服をまとっていた。まるで年寄のばあさんが、転んだ時の様な無様さを思い返すだけでも顔が熱くなって来た。

「あんな所で、あんたが、走り出したから、滑ったんでしょう!」と膝の上にいた悟空の頭をたたいた。悟空はキャンと云って部屋の隅に跳んで行った。

 足も少し回復した頃、お礼を兼ねて食事に誘った。その後も何度か小さなディトを重ねた。
千鳥が淵の桜は印象的だった。混むカフェで
「咲いている桜もいいが散って行く桜も風情があっていいね」と、太一はいつまでも席を立とうとしなかった。
花を愛でる優しさを垣間見た思いで、公子も彼と同じ空間で、同じ花を見て美しいと感じられる事は、彼と通じ合った様で、幸せなひと時だった。お薄とお饅頭が運ばれて来て、桜を愛でながらの一服は至福の時であった。だがお互いあまり深入りをせず距離を保ちながらのお付き合いが続いた。カフェ等で太一はいつも壁を背にして座る癖がある。不思議に思い訊ねると、
「いつも君を、守ってあげたいから」と冗談めかして言う。
 タクシー等に乗る時も車の屋根で頭を打たない様に、実にスマートに、あたりそうな所を手でかばい公子を、車内に誘導してくれる。まるでお姫様扱いなのでうっとりしてしまう事がある。
 話の端々に、小林寺拳法の段持ちである事もわかって来たし、空手も段を持っているらしい。ハワイに住んでいた事もあると云うのだから、きっと英語も得意なのだろうと想像の世界は広がる。
 ハワイに、自分の秘密の砂浜があると言うのだ。
「プライベートビーチ?」と訊ねると、そうではなく、誰にも教えたくない秘密のビーチで、その砂浜には様々な色をした、小さいガラスがいっぱい捨ててあって、そのガラスが夕日を受けて、クリスタルな虹の様に見事に輝くのだと言う。
「でもガラスで足を怪我しないの?」と聞くと、そのガラスは、ガラス瓶の砕けた物で小指の爪の四分の一位の大きさで、もう角が全部けずられて丸くなっているそうだ。
「いつかそのガラスを、見せてあげるよ」と約束をしてくれた。

 ある日小学生の息子が二人いる事も分った。だが奥さんはいないようだ、と云うのは居酒屋で美味しい料理が出されると、子供に食べさすのだと言って、その作り方を教えて貰っている時があるからだ。

 又ある時偶然にも、太一の友人と居酒屋で出くわした。お酒の入っている友人は、公子に
「こいつは、いい奴なんですよ。でも可哀そうに奥さんに逃げられてね」とさっぱりと云う。
「ええぇ?そんな冗談を」と、はぐらかすと
「いや、逃げられたんですよ」と苦笑いしながら太一は
「逃げられ仲間なんですよ。彼とは」と友人を顎でしゃくった。
 友人によると太一は要人を護衛する、かなり優秀なSPと云う職業である事がわかった。
「世界のニュースで日本人が、誘拐された時等は、いつも彼は日本にはいないですよ。なあ?」と太一に促す。
太一は、苦笑いしながら、下を向いている。
「国賓で外国から王様とか、大統領とかが来られる時は、えらく忙しくしていますよ。なあそうだろう」と友人は、又太一を見ながら、酒を口に運んだ。
「ああそうか、だから人を守る事が板に付いているのだわ」公子の謎がやっと解けた。太一は
「おい。勝!べらべらしゃべるなよ」公子はぷっと吹き出してしまった。
まずいと思ったが、あとの祭りだった。
「どうしたの?」と太一に訊ねられて、隠す訳にも行かず
「勝って、お名前なの? イタリアでは、あまり大きな声で言えない名前だから」と遠慮がちに公子はいった。
「どうして?」太一は不思議そうに公子を見つめた。
「イタリアではね、勝って発音はウンチの事なの。勝男は、カッツオと言って男性性器の事なのよ」
すると太一は、店中に響き渡る程の大きな声で
「彼は勝男だよ!」と笑いが止まらない。友人の勝男も、公子もつられて笑ってしまった。勝男さんのいたお陰で、何やらいっぺんに二人の距離が、近づいた様に思えた。
 飲んだ勢いで勝男さんから色々聞くと、常識では考えられない様な事が、分かり出してきた。
 それによると、太一は命がけの仕事をいつもしているのだが、そんな留守中に、妻が男と一緒に、姿をくらましたらしい。男の沽券もあったものじゃない。ましてや小学生の男児を二人も置いて行くとは、一体どんな家庭だったのかとも思う。まさに逃げられたと言う、その状況下で太一の心は、怒りと屈辱感で、張り裂けんばかりだった事だろうと察する。心に負った傷はさぞ深く刻まれているのだろうと、気の毒に思った。

「あの頃は、世の中の女性全部を恨んだね。でもそれは誰もが幸せになれないし、一番自分が可哀想だと思い出したんだよ」と少し酔いが回って来た太一は、口が滑(なめ)らかになって来て、子供が可愛いくて、しょうがないと言う。

 息子達に対する太一の父性愛は、女性には真似の出来ないものがある。留守がちな太一は、子供達に緊急の時の、対処の仕方を教えている。例えば、家の鍵は玄関の下駄箱の上に必ず置くと言う決め事。台所から、又はベッドルームからは、何歩でその下駄箱に到達するか、歩数で覚えさせていると言うのだ。
 5階に住む彼等は、何段階段を数えれば、1階に着くかとか。事件が起きる時は必ず停電になる。そうなると誰もがパニックになるものだ。電灯に頼らず外に出られる事。公子には想像だにしない、思い付きもしなかった教育だ。もう勝男と公子は耳を傾け聞き惚れるだけだった。

 以心伝心と言おうか、公子が太一の事を、ふと思い出していると、不思議にいつも彼から電話が、かかってくる。
「元気?さっき帰って来たんだ」
「お帰りなさい。どこに、行っていたの?」
「ハワイ。お土産渡したいんだ」
「まあ嬉しい」
「一度家に帰るからさ、2時間後にいつものあの居酒屋で」
「ええ、じゃ、又後でね」
丁度仕事も一段落した所で、2時間もあれば身繕ろいも出来るわと、公子はそわそわ化粧台の前に座った。どんなお土産かしら。蘭の花?香水、チョコレート?と子供の様に心が躍る。

 シャワーを浴びて来たのであろう、爽やかな笑顔で
「しばらく」と扉を開けて入って来た。「ほんと、お久しぶりですね。お帰りなさい」と、先に来ていた公子の笑顔も輝いていた。居酒屋のおやじも、上機嫌である。

「はい、お土産。これを公子さんに、どうしても渡したかったんだ」
彼の掌の中には、小さな瓶があった。
黄色、赤、水色、グリン、青色と様々な色のガラスが光っていた。
「ああ、あのプライベートビーチのガラス?」
「そう、ちょっとハワイに寄り道して、取って来たんだ」
「まあ嬉しい!わざわざ?」
「当然だよ!仕事が成功した時の、自分へのご褒美も兼ねてハワイでちょっと楽しんできました」
「へえ~~。又大変なお仕事だったんですね」
「ううん、まあね。でもそれ以上聞くなよ」
「あら又だめ押しですか。はいはい!」
公子はその綺麗な瓶を電灯の明かりにかざしながら、ガラガラ振ってみた。シャラシャラ涼しげな音がする。それはまさに彼が言うようにとがった所がなく、粉々に砕けてほとんど丸くなっていた。
「私、少女の頃、綺麗な布切れや、綺麗な飴の包み紙を集めるのが好きだったの。いつもその箱の中の紙を、見てウキウキ、ワクワクしていたのを想いだすわ。有難う」
自分のために、このガラスを取って来てくれたその気持ちが嬉しかった。又このガラスが砂浜いっぱいに広がっている光景を想像して、とても幸せな気分になった。

「9月のハワイって、月下美人が見事に咲くんだよ。絶対君に見せたいね」
「月下美人って、日本では幻の花って言われている白い大きな花でしょう?」
「そう。それが夜の9時過ぎになると、何十メートルも続く石垣に、咲いてるワ、咲いているワ、そりゃ見事だったよ」
「へえ~~。それは見てみたいわ。
一晩だけしか咲かないのでしょう?
月の満ちた夜に、静かに咲いて、朝にはもう昨夜の華やかさはなくなっている花だと本で読んだ事は、あるんだけど、見た事はないわ。夜中に咲くんですものね」
「そう、白で一輪がすごく大きいんだ。それが、月の光を受けて余計に白く輝く。あたり一面生臭いほどの濃厚な匂いなんだ。今まさに満開の花や、そして咲ききってしぼんだ花や蕾が入り混ざって、それは見事だったな」

 太一は、お腹も少し満ち足りてきて、空(くう)を見ながら、その花を想い出しているかの様に、お酒を美味しそうに、口に運んだ。そんな幸せな時間は、あっと言う間に経ってしまう。
 太一の話は、公子にとって、いつも知らない世界を見せられる様で、次はどんな話をしてくれるのであろうかと、まるで小説の続きを聞きに行くような楽しみを覚える。二人にとって、はた目からも、楽しげで幸せそうな二人に映るのだが、次のデイトの約束は出来ない。どこに行っているかも知らされないもどかしさがある。それが彼の職業の掟なのだから。

 お酒がまわり、良い気分の時は、
SPと言う特殊な世界の話を、ちょろっとしてくれる時がある。
「子供さん達がいるのに、命がけの仕事って、怖くないのですか?」
「危険から助けてあげた人に、手を熱く握られて、涙を流して、有難う、有難うって感謝をされると、もう嬉しくって生きていて良かったと思うよ」

 手に手を取って、命からがら、危険ゾーンを駆け抜け、国境を越えた時、もうそこは安全地帯なので、ほっとする様は、まるでレスリングのタッグマッチの選手交代のタッチの様に、公子は想像する。国境を一歩またげば、セーフと言うゲームみたいな所があるのだろうか。でも公子は不思議に思えて仕方がない。その助けてあげた人とは、おそらく2度と会う事もないだろうに、それでも、その一瞬に遣り甲斐と、生きがいを感じると言うのは、やはりただ者ではない様だ。

 こんな話を聞いたこともある。
富士の裾野にある靑木ヶ原の樹海に奉仕に行った時の話だ。
「ええ?あれって、自殺の名所でしょ?」
「そう。昔は森林浴の場所だった筈なのに、松本清張の小説の「波の塔」から、自殺の名所になってしまったらしいんだよ」
「そこへ何しに行くの?」
「何しに行くと思う?」
「解らないから聞いているのでしょ」公子はあまりにも自分の環境と違う世界に住んでいる彼の発言や、行動に、ついて行けない事があって、イライラする時がある。公子の不機嫌な様子を察知してか
「樹海の掃除に行くのさ」とさらりと言う。
「掃除?」
「いや実は、自殺者の遺体回収だよ」
「ええ!」一瞬声を飲んでしまった。
「そんな事まで、しなくてはいけないお仕事なの?」
「いや、仕事じゃなくって、自主的なボランティアだよ」
「へえ~~。どうして?」
まるで3歳か4歳の子供のように公子は、どうして?何故?の連発である。
「だって、人間って、誰でもついつい、うかっと悪い事するじゃない?だから、人の嫌がる事を、お手伝いする事で、帳消ししているのさ」
「あら、どんな悪い事しているの?」
「だって、公子さんだって、ごみを道端に捨てる事だってあるでしょう?」
「いえ、私は絶対そんな事は、しません!」
「ああ、そうなんだ。だから、君は僕の様なボランティアをしなくていいんだよ」

 それを聞いた時、公子は、この人は、きっと人を傷つけたり、命がけの時には、やるか殺(やら)されるかで、想像もつかない事をしているのだわと思った。

 毎年富士山に雪が降る前の10月20日前後に、その青木ヶ原の樹海を一斉大捜査するらしい。警察署員や、消防団、防犯協会の人達に、彼も混ざって総勢3百人位が朝から樹海の中を大捜査して、自殺者の遺体を探し、1年間に100遺体も出た年もあるそうです。

 遊歩道を歩く本隊の大きな話声を、よりどころに、両側の森の奥へと分かれて入って行くのです。その声が聞こえている間は、隊員たちは、道に迷う事はないらしいです。10人位が班を組んで、声の聞えない所までは、絶対に行かない様にとの注意がある。
何故なら、樹海から抜け出せない事が、あったり、方位磁針が使えなく、電子機器が狂う場所があるからだと言う。初めて参加する人は、少々怖気づき緊張が走る。
 でも彼が言うには、そんなに奥深く行かなくても、せいぜい50mも行けば腐乱したものや、一部白骨化したものが見つかるそうだ。意外と遊歩道に、近い所で見つかるという事は、人知れずに死にたいと言う心理と、早く誰かに発見されたいと言う心理の葛藤がひしひしと伝わってくる様に思えると、太一は言う。
「狼とか鳥、獣たちに、柔らかい、お腹を一番先に、喰われているんだよね」
「いや! もうやめて!」
「ごめん、ごめん。だって君が聞くからだよ」

 凄い悪臭には参るらしい。消防団には、新入社員が毎年参加させられるらしいのだが、彼らは委縮してしまって、それらを凝視出来ないし、その悪臭に辟易して、「赤山さんは、毎年、毎年よく続けられますね」と尊敬されるらしい。そりゃそうだろう。もう公子には「凄い人」の一語に尽きると思った。

 年が変わって、2月に、彼は上機嫌で、電話をかけて来た。それはシドニーから帰国したので、お土産を渡したいと言う誘いだった。指定されたホテルのラウンジは、結構にぎわっていたが、かえって彼と話をするには、あまり静かな所より、注目されなくて、気が楽な時がある。
 彼の精悍さと、鋭い眼光は、時々
美人が振り返る。そして、横にいる私を何者?と言う眼差しで、見られる時があるのも、雑踏の中では、気にしなくて済む。

 2月だと言うのに、顔は赤土色に焼け、白い歯が余計にその黒さを際立たせていた。まるで俳優とデイトしている様な錯覚に陥る事がある。公子にとっては、少しの優越感と、誇らしさと、私みたいな者がと言う、引け目を感じながらも、幸せな時間だった。
「ハイ。お土産」と渡されたのは、
小さな包みだった。
「何? ドキドキしちゃうわ」と開けてみると、公子がまだ見た事もない様なハンカチの様な、それでいて、もう少し布厚の花びらが、沢山ついた可愛い物だった。
「そこの、リボンを両方から絞ってごらん」
彼女は恐る恐る赤いリボンをキュと絞ってみた。すると、なんと10ヶ所ほどの窪みと言おうか、ポケットの様なものが出来上がった。
「ほら、ここに、キャンディーを入れてもいいし、アクセサリーを入れてもいいし、君のアイディア次第だよ」
「うわ~、こんなの初めて見たわ!有難う。可愛いわね」

 本当に公子は嬉しかった、彼はいつも、想像できない様な、プレゼントをくれる。まるで女性の様な繊細さだ。その可愛いポーチ?は、リボンを緩めると立体から、ぺったんこにもなり、もち運びにも便利だ。
「わぁ~~い、嬉しい、嬉しい!」
公子は、はしゃぎたかった。そんな彼女を見て、予想外のリアクションに彼も驚いている様だった。
「シドニーでは、きついお仕事だったの?」どうしても、話の接ぎ穂はこんな言葉になってしまう。
「うん、今回は割り方、楽な仕事だったね」
「そう、そりゃ、良かったわね。きついお仕事ばかり続くと、神経がすり減ってしまうわね。私なんか、もう神経すり減る事なんか、まっぴらだわ」
太一は、ニコニコと、
「これは男の仕事さ」と余裕のある微笑みを浮かべた。運ばれてきた、ソルディードックと、バイオレットフィズで、2人は乾杯をした。

「又質問していいですか?」           
「答えられる事ならね」とやんわりと、煙幕を張られた様に思ったが、好奇心を、抑えることが出来ずに、日頃思っている事をぶつけてみた。
「空港等の雑踏の中での、監視は、余程キョロキョロしないと、怪しい人見つけられないわね」とまるで子供の様な疑問だと思ったが彼は答えてくれた。
「そんな時は、足を見るのさ」
「ええ?足?足を見てどうするの?」
「足がさ、人の流れと、外れているんだよ」
「???」
「臭覚と言おうか、それは敏感に直ぐ分かるんだね。足の動きがちがうんだよ」
「へえ~~」
「去年もこんな事が、あったんだけどね。夏の花火祭りの時、有名な人がどうしても、部屋の中で見るのでなく、外で、群衆に混じって、臨場感を味わいたいって言うんだよ。本当に贅沢な、面倒な事言うんだよね」
「そう言う、偉い人は、どこの国の人も、我儘なのね」
「そうそう、でもそんな人がいるから、僕たちの仕事も成り立っているんだけどね」
「太一さん、偉い!」
「君にそんな風に言われると、嬉しいけど、照れるよ」その笑顔は、惚れ惚れするほど、輝いていた。
やっぱりこの人、凄い魅力を秘めた人なんだと思った。

 公子の生活の延長線では、きっと
一生会えなかった人だろうと、改めて悟空に内心、感謝する公子だった。
「で、その花火のお祭りはどうなったの?」
「だから、皆は、花火の方に見とれていて、ウワォ!とか、キャー!とか、感動の渦の中だよね。そんな時、6~7人の足が反対の方向を向いているんだよ」
「ええ、それでどうなったの?」公子はせき込んで聞いた。
「結局、その彼等は、スリだったんだな」
「へえ~~~。なるほどね!それで、捕(とら)えたの?」
「僕らの仲間が、少し離れた所で、
現行犯を捕(つか)まえたんだ」
公子はデイトを重ねるごとに、知らない世界を知り、まるで映画の一シーンを見ている様な気分になる時がある。命を張って生きているからこそ、輝いているし、魅力的なのだわ。

 今の彼を見ていると、奥さんから受けた過去のあの屈辱的な体験の苦しみは、陰を潜めているようだ。

 一方公子はと言うと、幼い時から父は家に寄り付かず、母はいつも外の女の事を恨み嘆き、そんな姿を見て育っていた。何時の間にか、男は信用の出来ない、怖いものだと言うトラウマが植え付けられてしまっていた。そんな太一と公子は、まるでハリネズミの様に、近づき過ぎず、いつも一定の距離を保って付き合っている。それが公子の安心に繋がっている。近づきすぎて火傷(やけど)をしないようにと、いつも何処かでブレーキがかかる。ひょっとすれば、公子だけでなく、太一も同じ心境なのかも知れない。
 
 太一を頼もしい友人の一人として持てる事、公子は誇らしく思い、それで充分だと自分に言い聞かせ、「こんなプラトニックラヴがあっても良いのではないか」と、心の宝石を、そっと秘密の宝石箱に仕舞い込むのであった。

-fin-

2007年

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