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おやめなさいね。

 年の頃は25歳前後。前に座っているお嬢さん列車の揺れに伴って、さも気持ち良さそうに船をこぎ出した。口は半開き、眼は閉じているので余計につけ睫毛が強調されている。ゆらゆらしていたのもつかの間、隣の人に寄りかかり、わずかに体制を立て直したが次に揺れた瞬間、首はうなだれ、まるで首が直角に前に折れているのではないかと思われる程にお辞儀をしてしまった。前髪で顔は覆い被された。まあ、そのお陰で先ほどの醜い顔は隠された。「良かった、良かった」と、私は胸をなぜ下した。しかし困った事に足は股を開き両腕はだらんと、膝の両横に垂れ下がっている。「よほど疲れているのだろう」と、私は思わず周りをキョロキョロ見回した。よからぬ男性が見ていないかと。
「危ない、危ない!」
あまりにも無防備である。
 60年程前の私達の学生の頃は修学旅行と言えども、列車の中で居眠りをする時は、必ずハンカチを顔にかぶせて寝顔を人に見せる様な事はしなかった。そんな無様(ぶざま)な事は、はしたない事として躾けられたものだ。先頃は比較的常識ある社会人が乗っていると思われている新幹線の中でさえ、顔にたおる等をかけて眠っている人を見かけない。

 一般論として男と女の境界がなくなった様だ。服装もスカートよりパンツ姿の人が多い。80歳近くになった私でさえ、パンツを履きだすとやめられない。足元の冷えの防止、少々行儀悪くしていても安心感がある。階段や高い所に昇った時等も後ろに気を留めなくて済む。活動がしやすい等利点が優先してしまう。
 カフェでも耳を澄ましていると、あちこちのテーブルから聞こえてくる女性達の会話に「おもろかった」「美味(おま)かった」「あいつ」と言う言葉が頻繁にでてくる。有名な女性のお笑いタレントの中には自分の事を「儂」と言う人もあって、耳を疑う事がある。
 電車の中でのお化粧もその一つだ。トートバッグから携帯用とは思えぬ程大きな手鏡を取り出し、お化粧が始まる。あの揺れる中、細かい技が必要とされるまつ毛にも、見事にやってのける器用さには、思わず「天晴」と思ってしまう。
 会食の席等で「何を食べますか?」と男性に聞かれて「何でも結構です」と言う女性より好みをはっきり言ってくれる女性の方が男性としても気楽に付き合えて有り難いのかも知れない。男性も女々(おんなおんな)している女性より、気楽に話せる中性を好むのかしら?
 時代の流れは「らしさ」を望むより、個性的な人を求めているのかもしれない。それを個性と言うのかは大いに疑問が残るが。
 「お嬢さん。呉々も男性の前だけはその無防備な姿はおやめなさいね」と言いたくなってしまう。

-fin-

2016.5.1

【課題】 居眠りについて

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