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頑張って時代について行こう

 まもなく79歳になろうとしている私の友人たちは、お礼、頼み事、断りなどは、メールや電話では失礼に当たると考えている人が多いようだ。
 ところが〝お礼とお詫びは1分を争う〟と思っている私には、丁寧な手紙文よりも、一刻も早いメールが一番良いと思う。
 電話だと話している間は相手の時間を奪うし、留守だと何度も掛け直さなければならない。その点メールだと一方通行でもちゃんと届いている。ラインならもっと都合がよく〝既読〟と表示されるので相手が見てくれたかどうかがわかる。
 若者の間では、この〝既読〟という表示のため、見ているのに返事がこないといって、いじめにあうという社会現象が起きているらしいが私としては便利だと思っている。
 若者は頻繁に絵文字を使う。あの絵文字は私には注釈が必要だ。その上、省略言葉ときたら、もうさっぱりわからない。
〝明けましておめでとうございます〟が〝あけおめ〟〝どういたしまして〟が〝どいため〟〝現在○○にいます〟も〝○○ナウ〟で片づくらしい。確かに短い言葉で便利そうだが、なんともそれにはついてゆけない。
 4,5年前までは常に葉書と住所録と切手を持ち歩いていた。電車の待ち時間にチョコチョコとよく御礼状を書いたものだ。当時から電話ではお礼など言わないようにしていた。声を聞いて懐かしむ楽しさはあるものの、忙しい人の時間をできるだけ取らないように心がけていた。
 そんな私も最近は、もっぱらメール、ラインに宗旨替えをしてしまった。
 しかし同年配の人や、私より年上の人はメールを上手く使いこなせずスマホは持っているものの、活用ができずに、こちらから送ったメールもちゃんと見てもらえていないケースがある。これでは自分ではお礼を出したつもりでも結果的には、義理を欠いていることになってしまう。やはり、万人向きには葉書が良いのかなあと思う。
 葉書は短い文で済むから、気負いがなくてすぐに筆が運ぶ。封書を受け取ればハサミなどで開封し「返信をしなければ」と、思わせてしまう時がある。
 手紙の行き来が自然な事だった頃に育った私には、ここにも時代の変化を感じる今日この頃だ。

-fin-

2016.11.1

【課題】 義理を欠く

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