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「わぁ、こそばぁ」

 「えらかったね。つらかったね」
私は、光に包まれたように嬉しかった。

 もう20年以上も前の事になるが、朝起きようとした時、頭が持ち上がらなく、天井が回り始め、目を開けている事ができなかった。日頃病気などした事がない私は、何が起きたのか分からなかった。隣のベッドにいる主人に、救急車を呼んでもらう羽目になった。救急隊員の人は、優しく、タンカーが使えない状態の所を、私を負ぶって、救急車に運んで下さった。

 私の家は、坂の途中に建っているため、病院に向かう方向の、道路は下り坂になっている。車の中に運び込まれた私は、丁度下り坂を、頭を下に向けて乗せられたことになる。頭がクルクル回っている状態の私に取れば、かなり長い苦しい時間に思えた。近くの病院に運び込まれた時、看護婦さんが言って下さった第一声が
「えらかったね。つらかったね」だった。
私の辛さを分かってくれる人がいたのだと言う安堵感と思いやり、この人になら何もかも任せられると言う、瞬間に沸き上がった信頼感が甦る。

 結論的には、当時分刻みで働いていた過労の末のダウンだった。
救急病院では、搬送されてくる病人は、日常茶飯事だろうに、慣れで流さず、愛を持って接しているその人達に頭が下がった。
どんな短い言葉でも、そこに愛があれば、心に、魂に響くのだろう。

 でも、その時の有難さを、あの看護婦さんに言っていたとしたならきっと、
「わぁ、こそば!」と一笑に付せられたかも知れない。
関西の中でも大阪人は、照れくさい時に
「こそばぁ」と照れ隠しする癖がある。きっと彼女に取れば、特別の事でもなかったのだろうと思う。

 いつも誰かに助けられ、励まされ、勇気を貰って今日まで生きて来ている。あの時の救急隊員の方や看護婦さんの様な、陰の黒子の人々は、報われているのだろうかと思う事がある。
御礼を言う機会もなく、今更ながら、彼らに幸いあれと祈りたい。

-fin-

2012.12.1

【課題】 介護、看護について

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