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一人っ子いろいろ

 昭和30年頃だった。私は恋に憧れる18歳。話題はまだ見ぬ男性の事ばかり。相手も居ないのに、新婚旅行は修学旅行で行った日光の〈いろは坂〉の紅葉を見せたいとか、〈風と共に去りぬ〉の、レッド・バトラーの様な人が良いとか、おかきをほおばりながら、何時間おしゃべりをしていても飽きなかった。 
 娯楽と言えば映画とレコードで歌を聞く事位しかなかった時代だ。その頃ラジオでは連続ドラマや、小説の朗読が幅をきかせていた。
 銀幕では今の中井貴一(きいち)の父、佐田啓二が大人気を集めていた。彼と岸恵子が演ずる〈君の名は〉と言うラジオ番組に多くの人が釘付けにされた。当時銭湯(女湯)が、その時間には一人もお客が来ないと言われた程の人気番組だった。
 物語は第2次世界大戦、東京大空襲の中をくぐり抜け助け合い、そしてすれ違いを重ねる男女の物語だった。
 空襲警報の真只中、(注)数寄屋橋近辺で、たまたま居合わせた男女が、空襲の恐怖から逃れてほっとし、もし生きていたなら半年後にこの橋で会おうと約束をする。男は名前を聴こうとして「君の名は」と尋ねたが、女は名も明かさないまま別れてしまうのだった。

 生きていた二人は何度かのすれ違いの末1年半後に会えた時、岸恵子演ずる真知子は、頑固な伯父の勧めで、すでに明日嫁に行く身だった。嫁ぎ先では一人っ子の婿の姑はとてもきつく苦しめられるのだが、姑には逆らえない時代だった。
 そんな中、佐田啓二演ずる春樹と真知子は何度か会おうとするが何かの行き違いで会えないと言う、ハラハラドキドキは今で言う韓国ドラマそのものだった。その姑の意地悪さに私達は憎らしさを感じ、岸恵子に同情した。
「絶対に一人っ子の人とは結婚しないでおこうね」と、堅い契にも似た約束を交わした私達だった。
                    
 時が過ぎ私達も適齢期になり、仲良しグループの友達も一人、又一人と次々に結婚していった。親友のU子さんは、あんなにも約束をしていたのに、一人っ子と結婚する事に決まった。私は裏切られた様に思い、又彼女が何故そんな所へ行くのかと、大いに疑問を感じたものだった。

 それから1年程経った頃、私に舞い込んだお見合いの話は不思議な事に一人っ子の相手だった。断るつもりで、とは言ってもどんな人かなと言う誘惑で会った彼だったが難癖をつける所が無かった。友達気分で付き合ってみるのも楽しいかもと思い、付き合って行く内に、彼の母親が実にお人好しで、上に〈馬鹿〉が付く位のお人好しだと言う事が分かって来た。ご自分は姑さんに苦労して来たので、その繰り返しはしないと言う信念を持っている人だと分かり、私も友人達との約束を破って一人っ子の彼と結婚したのだった。


 あれから54年も過ぎ、姑に苦しめられる事もなく、むしろ彼女の方が嫁の私に気を遣う様な日々に感謝する。一人っ子は煩わしい親戚も少なく、中々良いものだと思い、人生色々何もかもが遠い昔。
 


  「数寄屋橋」は1958年に東京高速道路建設のため、埋め立てられて取り壊されている。今は高速道路上に「新数寄屋橋」と名づけられている。

-fin-

2015.8.1

【課題】 ラジオ番組が好きだった

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