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霧の彼方へ

 20年位前の60歳代の頃、友人とベトナムに旅行した。友人とメイン通りを歩いていると、60歳がらみの男がいざりながら手を差し伸べて物乞いに近づいてくる。私は用心して友人に「背中のリュック気をつけてね」と、耳打ちした。しばらく歩いていると後ろから自転車のタイヤで、私の太ももをぐいぐい押す男が居る。振り返り睨み付けると「すみません」の一言もなく、後ずさりする訳でもなく尚もタイヤを私の太ももの辺りにぶつけて来る。その男の後を歩いていた私の友人は、見かねてその自転車を引っ張り私から引き離してくれた。すると澄ました顔してその男は自転車を押しながら、向かい側の道路に渡って行った。
ふと気がつくと腰に巻いていたポーチから財布が道に落ちている。「ああ、やられた!」と思って拾い上げた。やはり財布の中はすでに空っぽ。「アジャ!」と、向い側を歩く男を目で追った。いつの間にか60歳位の女が私の前に現れ「あいつがやった」と言わんばかりに自転車の方を指差す。
今度は臨月のおなかを突き出した20歳位の女が先程の女を押しのける様に私の前に来てジェスチャー交じりで「私じゃないよ」と言う。とっさに私はその妊婦の手首をつかだ。「あんたでしょう!」と叫んだ。その手首は今にも折れそうに細かった。押し倒す事も出来たが〝こんな外国で事件を起こしたくない〟と言う気持ちがよぎって力を緩めた。その瞬間雲の子を散らす様に二人の女は逃げてしまった。金額にして5~6万円位の事だったが、その当時としては彼等にすれば親父夫婦と息子夫婦が半年以上は食べて、出産費用も賄えた金額だったと思う。いざりの親父夫婦、自転車の男夫婦の4人のチーム戦にまんまとやられてしまったのだ。
お金はこの様に失っても、どこかで役に立っている事がある。小銭でも落とせば〝チャリン〟と音がする。音がすれば拾う事も出来る。
 しかし時間は何の音も立てずに、断りもなく黙って忍び足で何処かへ立ち去ってしまう。勿論待ってもくれない。私は物心ついた頃から何十回、何百回、何千回とこの様にして時間を失って来た事だろうか。「時間を意義あるものに使いたい」と、これが私の望みであり、どうすればいいのかと探してきたことだ。
 恥ずかしながら白状するが、18歳の頃から格好良く英語で外人と喋れる事を夢見てきた。英会話の教材には随分と投資もしてきた。何万円、何十万円、三桁を優に超えているだろう。ええ格好だけに憧れて、計画性もなく気がつけば学ぶ時間さえ随分失ったものだ。
 80歳を目前にして、日本語さえ思う様に出て来ない今日この頃〝英会話習得〟の夢とそれに使うべき時間は、音もなく霧の彼方に消えて行く。

-fin-

2015.11.1

【課題】 なくしたもの

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