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自転車操業

 今から60年昔、肺結核は不治の病だった。フランク永井の〈有楽町で逢いましょう〉がヒットし、〈コカ・コーラ―〉が日本に上陸して来た頃だ。
私は高校生。母は肺結核で旅立っていった年でもあった。いつも寝ている母の姿しか思い浮かばない。よく自分の腕をまじまじ眺めて、まるで〈縮緬(ちりめん)〉のようだと言っていたのを思い出す。いわれてみると確かに、細かいさざ波の様な皺が腕全体を覆っていた。その腕を見る度に「おお、いややの!」と言うのが母の口癖だった。

 元気印を売り物にしている私が、八十歳も目前の二月、珍しくインフルエンザにかかって10日間も寝込んだ。日頃どんなに疲れていても必ずお風呂に浸かりベッドに入る習慣だが、さすがにお風呂に入る気力もなく、不潔感もかまわず何日も眠り続けた。

 友人の医者が以前こんな事を言っていたのを鮮明に思い出す。
 年寄りを診察する時の事である。聴診器を当てるために、シャツを引き上げると、その風圧で細かい、フケの様な皮膚がふわふわと舞い上がる。それはまるで粉雪が降る様で、一番嫌な事だと言うのだ。
 寝込んで三日目に袖をまくってみた。
「ふむ? 何か飛んだぞ!」と思ったときは、それは紛れもなく医者の嫌がるあの粉雪だった。腕を伸ばしてみると母が言っていた〈縮緬〉の皺が波打っている。
〈うわ! 老いへの道を駆け下りているぞ!〉と、身震いをした。
日頃元気で、両手で足りない位のお稽古事をして、毎日忙しくスケジュールをこなしている私に子供たちは言う。 
「歳を考えて、ええ加減にしいや!」と。親切心であろうが〈ほれ、見なはれ、言わんこっちゃないがな〉と、言われているようで、癪(しゃく)に障るが返す言葉がない。
マグロのように、泳ぐのをやめると死んでしまうのかもしれない。例えて言うなら自転車操業のように、忙しく自転車をこいでいないと倒れるのかも知れないと思った。たった10日間で〈縮緬じわ〉と〈粉雪〉に見舞われるのだから。
 変りのない平凡な毎日が過ごせるのが、本当の幸せなのだと改めて感じさせてくれたインフルエンザだった。小さな平凡な幸せに感謝だ。

-fin-

2017.3.1

【課題】 例えていうなら

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