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又やられてしまったわ!

 40歳の冴子は美容師。利発で言葉が行き届いていたからか、独立して、幸運にもタレント協会にお呼びがかかる様になって、はや十数年が過ぎる。
 咄嗟の決断力や、頼まれた事は、断わらない人の良さ、目立たないカリスマ性が人を惹きつけたのかもしれない。タレント以上にカリスマ性があると、嫌われるのだが、有り難いことに、静かなカリスマ性は、何よりの宝になる才能だったのかもしれない。
 少しは名前が売れ出した頃、どちらを見ても、自我の強そうな人ばかりの中で、身の置き所にさえ戸惑っていたパーティーの席だった。大企業家の夫を持つ華子夫人の腰に、冴子のハンドバグが当ったのだ。すぐに丁重に謝ったのにも関わらず、たっぷり皮肉を言われた。
 「あら、今売り出し中の時田冴子さんね。お気を付けあそばせ!」と、上から目線の目が鋭く怖かったのを覚えている。当時冴子が27歳、彼(か)の夫人が50歳位だったろうか。

 あれから冴子の人脈も広がり、弟子も出来て、この業界ではあまり叩かれる事もなく、潜水艦の如く、水面下で静かに、立ち廻わっている用心深い所があった。
 それは幼い時に母が離婚をして、幼いなりに母の苦労を見て来たからかも知れない。最近になって、ようやく女一人で自分を育ててくれた母の苦労が分かるようになった。そんな母に会うと、口癖の様に「感謝の気持ちを忘れたら駄目よ」と、刷り込まれる。お墓詣りにも、よく付いて行かされた。「今が幸せなのはご先祖さんの守りがあるからよ」も、これも母の口癖だった。確かに、健康で現在の生活があるのは、自分の努力だけではない。弟子達にも恵まれ、アシスタントも、心根の優しい人で、気持ちよく仕事が出来る幸せを、墓前に報告をするのだった。
 最近は、気に入って下さるお客様のお誘いで、著名人のパーティーに誘われる事も仕事の一つとなっていた。
 昨日も、300人位のパーティーに出席した時の事。彼(か)の有名な華子夫人にロビーで出くわした。
 「あら! お久しぶりです、華子様もお元気そうで、いつまでもお若くて!」と、冴子にしては思い切りの社交辞令だった。すると、夫人は
 「あら、お名前はどなたでしたかしら?」
 「私、時田でございます」と言うと
 「いえいえ、下のお名前ですよ」
ああ、又やられてしまった!

-fin-

2018.9.1

【課題】 川柳より「久しぶり! 聞くに聞けない君の名は?」

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