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一筋の希望

 90歳を越えた、ある大会社の老会長は、どんな事が起きても、どんと構え社員に
「何年か前に、そんな事があったなあ」と、悠然としている。そんな会長を見て、社員は事の重大さに慌てたものの、命まで無くならないのだと、胸をなぜ下ろしたと言う話を聞いた事があった。
 歴史は繰り返すと言われるが、会社経営に於いても、何十年を経てきている老会長には、「又そんなことが起きたのか」と言う事で、社員が慌てふためく程の驚きではなく、丁度、予防接種を受けているが如くに免疫が出来ていたのだろう。
 かつて身に降りかかってきた状況と時代は変わっていても、対処の経験があるという事は大きい。だから悠然と構えられるのだろう。
 常にその会長は「山より大きな獅子は出ん!」と、言われていたそうだ。
 私も会社経営に携わり、75歳になった今、その老会長の心境が良く解る様になって来た。

 私は無神論者ではあるが、あるクリスチャンの人が言われた言葉も、心に残っている。
「よしんば、不幸ごとが起きたとしても、それは神の企である。その先の事が、愚かな私達には見えないだけの事である」
 この言葉を知った上で、「神よ、あなたは次に何を見せて下さるのだろう?」と、言った人もいた。
「山より大きい獅子(しし)は出ん!」と言った老会長の言葉と「神の企て…」が私の心のよりどころになっている。

 先日長女の婿が、48歳の若さで、クモ膜下で倒れた。我々の周りに震撼が走った師走だった。トライアスロンをする位の健康的な婿に、この様な事が起きるとは、誰一人として、想像だにしていなかった。レベル5と言うのは生存率1割と言う、賭けにも似た手術だった。有難いことに3週間経った今、奇跡的にも助かり意識も大分戻り、手足も動く様である。
 10時間の手術を待つ間、小さな待合室は暗く重い空気が流れていた。娘と子供達3人。婿の両親、兄、そして私。皆が長引く手術に、悪い方向を考え始めていた。
 私は「山より大きな獅子(しし)はでん」と、「神の企て…」を、心において、待合室の空気をプラスの方向に変えて行く努力をした。
「家族が、諦めたらあかん! 希望を持って、祈ろう!」と。
 うな垂れていた婿殿の母親も、自分を取り戻したかの様に、目線をあげて「希望を捨てたらだめですね」と言われて、一筋の光が、その部屋を明るくした。
 今婿は、希望の光に向かって頑張っている。

-fin-

2013.12.31

【課題】 人生のスパイス

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